COVID-19
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医療機器のAI化は人間の忍耐力にかかっている
医療機器のAI化。
これを医療業界のAI化という言い方をしても良いのですが、
このAI化という流れは今はもはや予定といっていいほどに一般化しています。
このAI化の流れの中で、人間はいったいどのようにそれに対応していくのか。
もちろん、科学的な分野医学的な分野で多くの学者がそこに取り組んでいますが、実際問題そこにある壁は高くありません。
では、その壁はなにか、それは人間の心の忍耐力です。
医療従事者の忍耐力
まずは、医療に従事する人たち。
医者や看護師、その他の多くの士業の方たちの忍耐力について考えてみます。
役割分担という逃げ道
医療のAI化というものを現場レベルで見たときに、そこに役割分担という考え方が出てきます。
それは何かというと、つまりは医療従事者とAIとで得意分野を分け、
そこにすみわけというものを採用しようという考え方です。
じつは現在、これこそが医療のAI化といわれる中でのコアな分野。
計算や記憶、管理、もしくは過去のデータとの比較という点で、
現在すでにAIは医療の現場で威力を発揮し、それは人間では到底及ばないものとなっています。
しかし、それは、現状逃げであるという言い方もできるのです。
最終的に行き着くのは専門戦の不要論
AIの進化による医療現場の最終的な到達点は、専門性の不要論に行き着きます。
というのも、それはAIに限ったことだけではありませんが、
科学技術の進展というものはいかに専門的なことを誰でもできる状態にするのか、という点にあるからです。
たとえば炊飯器もそうですよね、
はじめちょろちょろなかぱっぱを知らなくてもご飯が炊けるわけですから。
しかし、医療の分野において、それは医療というもの自体の崩壊につながるものです。
医療従事者が、医療従事者としてその地位と名誉、
もしくは生活の糧を得ているその中心的な意味合いは、その専門性にあるからです。
しかし、AIの進化がこのまま進めば、これは必ず不要になります。
医療従事者が作業員になる覚悟があるのか
AIが進展していくことで、医療従事者に待ち構えているのは「作業員」としても未来です。
これは、工業の分野に置いて、
技術者という名の職人が機械化とAI化の中で作業員に変わっていったのと同じ流れに該当します。
もし、医療従事者がこれを拒否すると、医療のAI化は限定的な範囲で止まります。
つまり、AIはあくまで人間の補助的役割であり、主体的な役割を担ってはいけない、
もしくは担うようなことはさせないというレベルでとどまるということです。
しかし、医療は同時に人の命を救うものです。
AIの方が優れているのにAIを補助として主体にしないという選択をどう受け取るかは、
時代の要請によって大きく変革を迎える時が来るはずです。
その時、その変革に医療従事者が耐えられるのか、これが大きなポイントとなります。
患者の忍耐力
そしてもう一つ欠かせないのが、患者の忍耐力。
AIという機会に自分の身体をゆだねるということに関しての、心の問題です。
AIが管理する方が人間は健康である
これは間違いのない事実として今後確立されるものですが、AIに管理された生活は人間の健康を向上させます。
現在もAIの医療という点にあいて最も注目され、そして進展している分野が「ヘルスケア」であるように、
AI化された医療機器の現在のメインターゲットは健康管理です。
しかし、今はあくまでこれもまた補助の状態。
人間が自分の思いと考えによって、管理してほしい事と内容を規定しているだけで、AIが主体的に管理しているのではありません。
そして、当然、それだけにもかかわらず、不快感を感じる人はいます。
AIに診断治療されるという恐怖
もう一つが、AIが医療のコアな部分まで進んできたときに起こる、恐怖です。
AIは基本的に医療の診断や治療において、その能力の方向性としてはとても適した性質を持っています。
過去との比較、ビッグデータの照合、最新の知識の絶え間ないアップデートなど、
まさに医療が医療の根幹として臨むべき性能を持っているのです。
しかし、人間として、AIに診断され治療されることに今抵抗のない人がどれほどいるでしょうか。
それは、医療過誤の際の責任問題というような目に見える弊害ではなく、
AIという機械に自分の身体を任せるという根源的な不安と恐怖です。
人間はそこに耐えられるのか、それは大きな課題と言えるでしょう。
結果だけを見つめる覚悟があるのか
このままAIが進化していけば、
AIの方が人間よりより正確に診断治療を行える時代は必ず来ます(数年の話ではありません)。
そのときに、患者として、一般の人たちはAIに体を見られる、
治療をされるという状況に対して嫌悪感を抱かなくなるのか。
精神的な違和感より、より良い医療という結果に注視できるのか。
この問題は、人間の尊厳にかかわってくる問題であり、まさに医療、
もしくは医学というものが永遠の命題として抱えているものでもあります。
AIにより医療の未来は、そんな哲学的命題の向こうにあるのです。
枝葉の議論ではなく根源を見つめるとき
AI医療を考えるということになると、まず枝葉の話をしたがるものです。
しかし、本当に必要なのはそこではないのです。
どう発展するかはもはや問題ではない
もちろん、個々別の問題解決においては、AIの発展の方向性は大切な話です。
しかし、今後のAI医療の行く末を論じるときに、
やれスマートスピーカーがどうのですとか遠隔診療がどうだとか言うのはあまり意味がありません。
そこは、たいして問題にはならないのです。
なぜならAIは、今後全方位的に進化を続け、むしろできないことを探す方が難しくなっていくからです。
人間とAIの関わりそのモデルケースが医療である
AIが操縦するバスに乗れるのか、AIが調理する料理を食べられるのか。
今後AIの進化による社会の変化においては、こういった議論が多くかわされていくことになるでしょう。
しかし、もっともその点においてしっかりとした議論が必要になってくるのが、医療です。
どう考えてもAIにその中心をシフトしていくことが医療にとってプラスであるにもかかわらず、
AIが医療の中心であってほしくないと人間が強く思う分野。
AI医療の進展は、まさにAI社会を考える上での絶好のひな型となっていくでしょう。
進歩に耐えることの重要性
医療機器を考えるとき、AIの進化は歓迎すべきものです。
というのも、AI医療におけるAIというのは言うまでもなく医療機器であり、
医療のコアがAIにうつるというのは医療機器業界が医療の中心を担うということでもあるのです。
しかし、そこに到達するには人間の意識改革は不可欠。
AI医療を受け入れ、それに耐えうるだけの進歩に対する覚悟があるのか、
それこそが今後のAI医療の本当の課題なのです。
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