仙川環『聖母』


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子を産むということは斯くも過酷なことなのか:仙川環『聖母』

人間がその歴史の中で何度となく繰り返してきた当たり前の営み、出産。

少子高齢化の今の社会においては、
国によってむしろどんどんと産むよう推進さえされている、
その出産について深く切り込んだ作品。

それがこの『聖母』です。

ただ、本著で語られる出産は代理出産。

日本では未だ倫理的に認められないとされているこの代理出産に、仙川環が挑んだ意欲作です。

子供が欲しくても産めない、そんな一人の女性から始まる物語

本著の主人公はがんにより子宮を摘出した一人の女性です。

彼女は、不妊ではなく、
子宮の摘出によりどうやっても子供を授かることができなくなったことで、
精神的に不安定な生活を送っています。

そこに登場したのが『代理出産』という医療技術。

娘を助けたい実の母主導で進んでいくその話は、
様々な局面を経て二転三転しながら代理出産というものの持つ側面を一つ一つなぞるように語られていきます。

そして、その局面ごとに浮かび上がる代理出産の問題点。

代理出産というものが抱える、
起きうる正の可能性と負の可能性を余すことなく網羅しながら進んでいくストーリー。

そしてその先に待ち受けているのは……それを幸せと呼ぶかどうか、それは読み手次第のお話です。

代理出産の是非をリアルに当物語

代理出産と言えば、大抵の人はいくつかの問題点を即時に上げる事ができるでしょう。

しかし、それは文字づらの一般論であることをあなたは知ることになるのです。

代理出産の問題点は考えればすぐにでも浮かんでくる

代理出産は日本では『倫理的』に認められていない。

そう言われば、その倫理というものがいかなるものなのかということを、
理解できない人はいないと思います。

しかも、その問題点が一つや二つではないことを。

それくらい代理出産というはある意味自然の摂理に反していることであり、
また、考えうるリスクの多いものです。

しかし、そのいくつかの問題点は、あくまで想像できる範囲でしかありません。

ひとつの家族を通して見えてくる心に響くその問題点

この作品に出てくる家族は、特殊な家族ではありません。

家族仲が悪いわけでもないですし、
夫婦間が冷え切っているわけでもなく、
互いに隠しきれない闇を抱えているということはありません。

それこそ、どこか既視感があるくらい当たり前の家族です。

老夫婦と言うにはまだ早い壮年夫婦、子供のいない姉夫婦と子供のいる弟夫婦。

この過程の姉が子宮を失うまでは、
当たり前に家族で正月に集まって食卓を囲むくらいに、
むしろ少し古臭いほどに中の良い家族。

だからこそ、そこに『代理出産』という概念が投下されることで、
その重みがひしひしと感じられるのです。

あなたはなんの誰に命をかけられますか?

出産は、高度に医療が発達した今でも命がけの出来事です。

確かに出産における妊婦の死亡率は3%前後と非常に少ない数ですが、
出生数が90万弱であることを考えれば、決して少ないというわけではありません。

しかし、それでも人が子供を望むのは、
その命がけの作業が「自分の子供のため」であるからです。

愛しい我が子を産むためだからこそ、命をかけて挑める作業、それが出産。

しかし、代理出産は違います。

命がけの出産を他人のために行う、誰かのために命をかける。

普通の家族に訪れたのは、その決断を迫るという過酷な出来事なのです。

生まれた子供は誰の子供なのか?

そして代理出産に待ち構える大きな壁、それが『生まれた子供』は誰の子供なのか、という問題。

書類上の問題ではなく、感情的に、そして倫理的に、その子供は誰の子供となり得るのか。

受精卵を提供した、つまり遺伝子的に親である人たちの子なのか。

文字通りお腹を痛めて生んだ、その母親のものなのか。

そもそも、代理出産に使われたのが自分たちの受精卵であると信じられるのか。

少なくとも、医師に対する信頼という文言だけで行われる現代の法整備の追いついていない代理出産においては、
他人のお腹を経て生まれてきた子供が自分の子供であるのかはDNA検査をしない限りわかりません。

男性だけに存在したそのジレンマが、女性にも起こりうるのです。

それでも代理出産が福音であることは間違いない

本著には様々な観点から見時からの『正義』を持つ人が出てきます。

そして、様々な疑問やジレンマを抱えて代理出産に消極的な人も、
また、積極的な人にも、共通するのはそれが子をなせないカップルにとって福音であるということ。

様々な制約や条件をつけても、
そこは疑いようもないものであることは、私もそう思います。

しかし、そこに壁が多いことは、これまでかいてきたとおり。

本著を読み終わった後、あなたがどういう結論に至るのか。

それがある意味、著者の問いかけの正体かもしれません。

人間の命について考える

人間の命について考えたくなるようなことは、たくさんあります。

ただ、代理出産というものを通して見えてくるものは、
また少し違ったものであるのかもしれません。

命というものの見方は様々

出産という一大事にかける女性にある、命。

そして、生まれてくる赤ちゃんにある、命。

それを取り巻く人、その周囲にいる人、そして、そこに関わっている人の命。

その命を得た結果生きていくことのできる人生。

代理出産という、自然ではない命の誕生をめぐる色々な出来事の中で、本著では、
その周囲にあるあらゆる命とその結果存在する人生に触れていきます。

そしてその価値は、決して等しくないと知るのです。

命とはなんだろう

主人公の女性は、物語の中で一度代理出産を諦めます。

しかし、その直後、代理出産を行うための冷凍受精卵、
つまり自らの卵と夫の精子によって生まれた一つの細胞に生命を感じて逡巡します。

彼女にはそれが、命に思えたからです。

こうして本著では、徹頭徹尾、命について様々な疑問を投げかけてきます。

その結果、あなたの中にはあなただけの命についての考えが生まれてくるかもしれません。

代理出産の是非にとどまらない問題提起

本著の主題は、間違いなく代理出産です。

しかし同時に、そこに見えるのは家族、
人生、倫理、正義、人間のありよう、そしてそのすべてを内包する命。

一言では語りきれない決して結論のでない、その問いかけ。

物語の最後、少しだけスッキリしない思いで終わるラストは、
そういった結論のでない問いかけであることの示唆として著者が残した、
最後の問いかけなのかもしれません。

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